編集記者ブログ

テレビの報道記者→webメディア編集者の24歳が日々更新中。主に転職のこと、社会人大学院のこと、ニュース/コミュニケーションのことを書いています。

子どもにも複数のアイデンティティを!学校は勉強・部活だけをほめ過ぎ!

先日、12歳で起業した中学生の記事が話題になっていました。
careerhack.en-japan.com

 

 

これを読んで、「かっこいいな」と思うと同時に、「それで間違っていないよ」と背中を押したくなりました(お前は何様だよ、というのは置いておいて)……。

なぜなら、私が学生から大人になるときに壮大な矛盾を感じたからです。

 

その経験から「子どもにも複数のアイデンティティ」というのを主張したいと思っています。

 

【目次】

①なにが矛盾なのか

 

②子どもにも複数のアイデンティティ

 

①なにが矛盾なのか

前述の記事でも少し触れられていましたが、これに尽きます。

 

学生「勉強・部活だけしていたら褒められる」

社会人「趣味がないと『えっ』と言われる。複業しろって言われる。」

 

 

 

子どもの頃、特に小学校・中学校の義務教育段階では、

100%学校に身を浸すことが求められている気がします。

勉強や部活を頑張っている子どもが褒められて、

ゲーム世界大会出場とか、クラブチーム1軍とかはあまりステータスない。

 

私は親に「勉強しなさい」と言われたことは一度もなかったけれど、

学校という場ではそれがいちばん評価されるという空気を感じていて、

それ以外を伸ばそうという気持ちにあまりならなかった。

 

それが大学生頃になって、急に「学校に閉じこもるな、外に出ろ」という風潮に。

授業にすべて出席しているのは無駄、みたいな空気に焦った。

学問だけしてると、就活にも乗り遅れるぞと脅かされた。

 

社会人になると更に「趣味も充実、複業もしてます」という人がステータスを得る。

 

いやいや、子どもの頃に教えられたことと違うでしょ!

 

成長の各段階において、求められる姿勢が違うのかもしれない。

でも、大学生になった瞬間考え方を変えるのってけっこうしんどいし、

そんなに器用に行動を変えられない。

 

私は「勉強以外は無駄」思考をしっかりと身に着けていたため、

そこから離れるためにずいぶん苦しんだ。

(日曜日、ほぼ趣味がなく過ごしているところを見ると、結局離れられていないのかもしれない。)

 

 

②子どもにも複数のアイデンティティ

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by Rolfe Kolbe

そういう苦しさがあったので、

小学生にも、いくつもアイデンティティを持ちなさい、

って教える方がいいと思うんです。

それが起業みたいにすごいことじゃなくても。

 

平日は「ビジネスマン」、休日は「パパ」というように、

平日は「ランドセル小学生」、休日は「泥だんご作り」とかでも全然。

そういうキャッチコピーを作る授業なんかがあってもいい。

 

 

大学以下の学校という場所は、勉強だけしている生徒・学生を褒めすぎ

 

とにかく、

複業とかワークライフバランスという方向に時代が変わっているのだとしたら、

子どものころから複数のアイデンティティをもつ人間を尊重しよう

学校に縛り付けず、いろんなチャレンジを許してあげるべき。

 

「勉強・部活だけやっているのが偉い」という褒め方をしていたら、

いつまで経ってもそんな社会は訪れないと思います。

 

【書評】コンテンツ業界は「アテンション・エコノミー」!?『フェイクニュースを科学する』

きょうはフェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論プロパガンダのしくみ 』(笹原 和俊 著)の書評です。

2018年11月に出版された新しい本。

 

ネット時代の情報・コミュニケーションや、フェイクニュースに興味がある初学者には

ちょうどいい内容でした。

さらに、章末のまとめを読めば、だいたいのことがつかめる良書です。

 

【目次】

①広告収入をもとに作られた「デマ」

②「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」

③コンテンツ業界に「アテンション・エコノミー」の時代が到来!?

④感想

 

①広告収入をもとに作られた「デマ」

 

同書の冒頭は、2016年の米大統領選挙に関して。

選挙の際に多くのデマが出回りましたが、その情報源となったWebサイトがどのように作られたのかということについて言及しています。

(p.29)。

 

Webサイトの中には「広告収入を目的とするもの」が多数含まれ、

東欧のマケドニアなどの米国以外の若者たちが、お金儲けのためにつくったサイトが100以上あったそうです。

広告収入は、作成したサイトをSNSで拡散⇒サイトを閲覧した人々が広告をクリックすることで利益が入る、という仕組みです。

 

「その行動は民主主義を壊しかねないほどの危険性をはらんでいます」と、

著者は警鐘を鳴らしています。

 

②「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」

 

 2018年3月に、MITのメディアラボで発表された研究も紹介されていました(アブストは以下URLで読めます)。

science.sciencemag.org

 

twitterのデータ分析によって、誤情報の連続リツイート数やその量、最大幅などを調べたところ、「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」ことがわかったといいます(p.45~)。

 

著者はその理由について、他の調査結果と合わせて以下のように分析。

・虚偽情報の方が新規性を感じやすく、噂に成なりやすい

・誤情報に接した人が驚きや恐れや嫌悪などの感情を抱いて、情報共有を求める傾向がある

 

たしかに、北海道で地震が起きたとき「自衛隊の人が数日後に本震が来ると言っている」という趣旨のtwitterやLINEがまわってきました。

 

まさに、上記の「恐れを抱いて、情報共有を求める」という状態になっていたのだと思います。でもこれって、人間として当たり前の感情ですよね。

「デマかもしれないけれど、念のため……」というメッセージが添えられて

まわされていたものもあり、一概にその行為を非難する気にはなれない。

人間の心を変えるのはたぶん不可能なので、フェイクニュースの拡散はどのように防いでいけばいいのでしょうか……。

 

 ③コンテンツ業界に「アテンション・エコノミー」の時代が到来!?

 

フェイクニュースとは少し違う観点ですが、社会学者のマイケル・ゴールドハーバーが1997年に提唱したアテンション・エコノミーの考え方がおもしろかったので、

これについても検討します。

 

アテンション・エコノミー 

情報過多世界においては、人間のアテンションこそが希少資源であり、アテンションがお金の代わりに流通するようになるという考え方(p.135)。

 

様々なコンテンツおよびサービスが、

生活者の時間を奪い合っている時代。 

 コンテンツ業界の「アテンション・エコノミー」化は、もうかなり進んでいるというのが実感です。

社会的に必要な情報よりも、PVが多かったりバズった情報を出した方が稼げるし、嫌われない。

 

パターナリズム的なメディアが機能しなくなっている、という話をどこかで聞いた気がしますが、「アテンション・エコノミー」それと絡んだ問題かもしれないと直感的に思いました。

じゃあ「注目されないけれど大切な情報」は、誰が収集して誰が発信するの?という話を考えなければいけない時代が来そうです。

 

 

④感想

様々な学問領域をまたがなければいけない「フェイクニュース」の問題について、整理されていてよかったです。

 

 生活上の疑問から学問につなげる場合「これを知るにはどの学問に手を付ければいいのか」というのが分かりにくいのですが、

具体的な学問の名前(社会心理学、計算社会科学など)を出してくれていたので、

手がかりになります。

さしあたり「アテンション・エコノミー」のことは勉強してみようと思います。

 

【書評】ネットでの選挙活動が解禁 変わったことと変わらなかったこと『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』

 

広告・宣伝がネットを活用できるようになって高度化したように、選挙運動もネット解禁によって大きく変わるのでは?

 

きょうは、こういう素朴な疑問に応えてくれた本『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(西田亮介)の内容を整理します。

 

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by Financial Times photos

 

公職選挙法が改正され、日本においてネットを利用した選挙活動が解禁されたのが、2013年

初めての選挙は7月の参議院選挙でした(私はもはや、そんなことあったっけ、状態でした。全然覚えてない)。

 

同書は初めての「ネット選挙」が、民意や政治過程にどういう影響を与えたのかを書いています。

なにがすごいって、本の出版が2013年9月。選挙から2か月後。仕事早すぎです。

 

そのためか本書は、アカデミックというよりはジャーナリスティックな視点が全面に出ている感じがしました。

 

ネット選挙に関しては、「ネットが『逆転のツール』になり選挙結果に大きな影響を及ぼすということはなく、予想通り自公の勝利で幕を閉じた」というのが一般的な見解です。

 

ではなぜ日本では、アメリカのオバマやトランプ当選のようなことが起こらなかったのか、日本の選挙においてネットは一体どんなふうに使われていたのかということを、

同書によって掴むことができました。

特に気になった3つのキーワードについて説明します。

 

【目次】

①政治のコンテンツ化

②双方向性の不在

③ノウハウの蓄積

 ①政治のコンテンツ化

本書のキーワードのひとつは、政治のコンテンツ化

既存のメディアやコンテンツプロバイダー企業が、「政治を素材にしつつも政治に詳しくない視聴者も楽しむことができる番組やコンテンツを多数作り始め」、ネット上にアップするようになったといいます。

これについては良い面と悪い面が、両方あるというのが著者の考え。

 投票率という指標で短期間での即効的な効果を見出すことはできなかったが、政治への接点増加とコンテンツの工夫によって、中長期では政治のコンテンツ化は政治の透明化に一定程度貢献するといえる。
 ただし、同時に「政治のコンテンツ化」は、さまざまなネットコンテンツに、ユーザーや視聴者が意識しづらいかたちで、政治的メッセージを織り込むことができるようになるため、その意味では政治マーケティングのチャネルを増加するものである。(p.50)

 

「意識しづらいかたち」でメッセージを織り込む、というのが怖いところです。

たとえばテレビのフォーマットは既によく知られているので、私たちはCMと報道コンテンツの違いが瞬時に理解できます。

 

しかし、Webのフォーマットは世の中に広まって間もない上に複雑極まりないので、どれが広告なのかいまいちわかりづらい

わかったところで、そちらに思考を引っ張られるのを防ぐことができるかといえば、そうでもないかもしれない。(広告とわかっていても、興味がなくても、何度もバナーが出れば認知させられてしまう。)

 

まあテレビの報道・情報番組コンテンツであっても、クライアントの意向がある程度反映されるといったことはあると思いますが……。

 ②双方向性の不在

 著者は、日本の政治・行政の構造的な問題として「双方向性の不在」をあげています。政治家・行政側が一方的に発信するだけで、双方向のコミュニケーションになっていないという点です。

 

しかし!ネットの特徴のひとつが「双方向性」だということを考えると、ネット選挙の解禁によってこの問題を解決できる可能性が生まれる!

 

こうした考えから、解禁後の選挙ではネットを活用した政策論争が起こるのではないかという期待がありましたが、結局、政治家側の一方的な発信ツールにしか使われなかったそうです。

 

一体なぜなのでしょうか。

 

 なんとなく自分が行政ネタを取材をしていたときは、世の中に「国や行政は『お上』という雰囲気が漂っている」気がしていました。

私自身も、そう考えているふしがあります。住民や民間企業は、国の決定に従うものというか……。

こうした「上から与えてもらう」的な発想が変わらない限り、ネットというツールがあってもその双方向性を生かすことは難しいかもしれません。

 

③ノウハウの蓄積

「取材される」政党組織と「取材する」マスメディアを比べたとき、デジタル活用やマーケティング化に関するノウハウが蓄積されているのはどちらなのでしょうか。

 

著者は政党組織の方に分があると考えているそうです。マスメディアは、2013年の選挙報道の時点でも、デジタル周辺の調査を大学や他の企業に「外注」していて、内製化できていないと……。

 

その一方、自民党をはじめとする政党は、民間企業と手を組みながらも、ノウハウを着々と組織にためているそう。

 

報道機関はそこにリソースを割こうにも、日々のやりくりで精いっぱいというのは、メディアにいた身でもわかります。先輩がやっている取材方法を踏襲する、みたいな文化が強く、創意工夫する余裕もない。

 

体力のある全国紙などは体制を整えられるのでしょうが、地方紙、地方局の選挙報道は、この先かなり大変かもしれません。一方でそのノウハウを構築する仕事は、とてもやりがいありそうです。

 

【まとめ】

個人的に、本書から得られたアイデアが2つありました。 

 

まず、私の問題関心は選挙そのものというよりも、「行政と政治の関わり」や「官僚と政治家のコミュニケーション 」の方にあるので、ネット活用によってその領域にどんな変化が生まれたのか調べてみようと思いました。(そんなにすぐに顕著な影響が出るとは思えませんが。)

 

また「政治のコンテンツ化」があれば「行政のコンテンツ化」もあるかもなので、そこも調べてみたい。あてずっぽうですが、コンテンツ化しやすい、成果として見えやすい分野に力を入れるようになったとか、なにか変化が見られるかもしれません。

 

【取り上げた本】西田亮介(2013)『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』NHK出版

 

 

ニュージーランドの教育政策と政治の話①

きょうはニュージーランドの教育政策について。

政権交代をするたびに政策の方向が変化していて、

継続性が見られなくなっているよという話です。

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by Waag Society

具体的には、

初等・中等教育のレベルで2014年から導入されていた

「パートナーシップスクール制度」が

2018年には廃止される事態に。

 https://www.education.govt.nz/our-work/information-releases/informationreleases-from-2018/education-amendment-bill-2018-information-release/ 

 

パートナーシップスクール」とは、

日本でも一時期話題になった「公設民営学校」と似た制度。

保護者やNPOが公立校よりも柔軟な制度のもとで学校を設立することができ、

その費用は税金で賄います。

なので新自由主義的な考え方をする人は賛成。

既得権益が脅かされる教員組合などは、特に強く反対という状況でした。

(MoEのリンクが削除されてしまったので、ソースを探し直します。)

 

政策に影響を及ぼす政治に関しても説明すると、

National party(国民党)とlabour party(労働党)が

交互に政権を担っている状態です。

おおむね2~3期ごとに交代。

New Zealand Parliament - Wikipedia

 

1996年から小選挙区比例代表を併用する制度変更を行い、

連立政権が組まれることが多くなりました。

 

この「パートナーシップスクール」も、

national party と連立政権を組んでいた小政党のact partyが、導入を訴えていたもの。

2013年に法案が通ったと記憶しています。

national partyもactと連立を組まないと議席が足りず政権をとれないので、

要求を無下に扱うわけにもいかないのです。

 

その後政権交代が起き、労働党政権へと変わってすぐに、

「パートナーシップスクール」廃止の法案が提出されたというわけです。

労働党の支持基盤のひとつに教員組合があるので、当たり前の対応です。

 

2014年に初めて学校が開校して、2018年に制度が廃止。

このスピード感は国の規模が小さく、

かつ一院制ニュージーランドならではのものだと思います。

 

気になるのは行政サイドがこの頻繁な変更にどう対応したのかということ。

せっかく整えた制度が4年で白紙に戻るというのは、

けっこう辛いものがありそう。

 

しかし、ニュージーランドの公務員は任期制(確か)で民間との出入りも激しい

物事が速いスピードで変わることに、慣れているのかもしれません。

日本でいう事務次官みたいな立場のchief exectiveにも、

民間でマネジメント経験を積んできた、かつ他の省庁で仕事をしてきた人が多いです。

(このchief exectiveと教育大臣の確執がおもしろかったりもする。)

 

2大政党制で政権交代がきちんと起こるというのは、

なんとなく理想的なようにも見えますが、

特に教育に関しては政策に一定の継続性が必要だと思います。

すぐに結果が出る領域ではないからです。

 

そもそも、自分が1期性で入学した学校が、

4年生のときには存続についてモメ始めている、という状況は

どう考えても子どもにとって心穏やかではありません。

 

実際に、エクストラでスタッフを雇っていた学校が、

国の制度の傘下に入ったらそれを継続できなくなると訴える報道もありました。

Māori charter school fears loss of key staff when it enters state system | RNZ News

 

少数意見を反映させようと、小選挙区比例代表を併用するのはよいのですが、

小政党が力を持ちすぎるという状況になると、

それはそれで今回のようなことが起きてしまいます。

選挙制度ってほんとうに難しいですね。

 

この制度には、ニュージーランド先住民のマオリの問題も絡んでいるのですが、

それはまた別の機会に書いてみようと思います。

【論文精読】自民党のネット活用・情報発信は群を抜いている

きょうは

西田 亮介「2010年代の自民党の情報発信手法と戦略に関する研究」(2016)『社会情報学』5 巻 1 号 p. 39-52の精読を行いました。

 

自民党のネット選挙対策部門トゥルースチーム(以下、T2)に関する考察です。

 

現在の自民党は、「標準化」と「オープン化」という、派閥中心で閉鎖的とされてきた伝統的な自民党像とは異なった特徴をもった「選挙プラットフォーム」になろうとしている。(太字はたでぬー追加)

 

 政党が「選挙プラットフォーム」というのがおもしろいと思いました。

私は卒論で「ニュージーランドの政党の関係が教育政策に及ぼす影響」

のような研究をしていたのですが、

そのときは政党が政治の主人公、という肌感をもっていました。

 

しかしネット時代で状況は少し変わり、

プラットフォームという役割をうまく担える政党が強いのかもと……。

 

強いリーダーと有権者が直接かかわりを持つ、というのは

小泉首相トランプ大統領の例などでよく言われていますが、

そのとき政党がどうなるのかということは、あまり考えたことがなかった。

 

ここでいう「標準化」とは、各候補者の資質から離れて、一定水準以上の 政治活動や選挙運動を比較的容易に実施できるよう促進する支援策を指す。また「オープン化」とは、自民党へのアクセスポイントを、Webなどを通じて広く社会に公開して、働きかけの誘引をもつ主体の自発的なアクセスを促す支援策のことである。

 

アクセスポイントの確保というのは、まさにマーケ的な考え方。

 

論文によると、小選挙区制のもと毎回の当選を追わなければいけない候補者は、

無党派層の支持を集めるために、誰しもがアクセス可能な環境で政策決定が

行われていると思わせなければいけないといいます。

 

こうした「出口」の環境変化が、

官僚と政治家のコミュニケーションにどう影響するのか、

いつごろそれは可視化されるのか、

(まだ霞が関は変わっていないような気もする)

とても気になります。

 

そして、そのドラスティックな変化を

リアルタイムで追うような研究者・政治記者はすごくおもしろそう。

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by citirecruitment

西田先生の本で読んでみたいものに、

「ネット選挙とデジタル・デモクラシー」

「情報武装する政治」などがあります。

すごいペースで本を刊行されている……。

 

それが終わったら、PR・情報戦略最先端のアメリカでの事例や、

各政策領域のコミュニケーションに与える影響(私は教育がバックグラウンドだから)

を勉強したい。

2月くらいにはそこに手をつけ始めたいなぁ……。

 

【論文精読】キャンペーンと「イメージ政治」 ―ポピュリズムの精緻化に関する考察―

2019年1月14日の勉強。

今春入学する放送大学大学院での研究テーマを探るために記録しているものです。

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by liquene

 

キャンペーンと「イメージ政治」 ―ポピュリズムの精緻化に関する考察―

工藤郁子

 

候補者が当選し、または、政権を維持するためのコミュニケーション戦略がまず立案され、その後、戦略に見合った主義主張や政策綱領が定められることも、後述するとおり、しばしば観察されるようになった。イデオロギーや理念ではなく、共感(sentiments) に基づく動員が精緻化しつつある

 

政治・政策のフローに変化が生じているという指摘。

これは、製品のマーケでも同じことが起きているような気が。

モノありきで売り方はその後考えていたのが、

最初から売り方を考え、世の中の好みに合ったものを作ろうという。

日本はものづくりがつよかったから、まだまだモノありきの考えも強いとはいうものの。

 

公約や政策は自身の立場(positions)や政治的決意の表明であるはずである。そのため、利益や 価値観を反映した立場を所与とするのではなく、世論の動向に応じて候補者自らが柔軟に立場を調整するとい うのは、主客が転倒しているようにみえる

 

 

民間企業のモノづくりならそれでいいけれど、政治でそれは順番が逆では?という見方もある。

マーケティングまたは広報の手法が政治的キャンペーンに応用されることで、選出母体の指令に拘束されずに、結果として部分最適を超えた社会全体の利益を反映する可能性がある。

他方、世論の把握や政策決定に至るまでの判断プロセスが必ずしも公開されておらず、不透明であるという課題がある 

 マーケ・PRの手法が政治に利用されることの是非について両面的に書いている。

個人的には「不透明」というのがポイントだと思う。

政治のPRに電通やセールスフォース、ガイアックスなどが関わっていることを知らない人の方が多いだろう。

その会社名すら認知していない人もたくさんいるはず。

 

さらに孫引きになってしまうけれど、西田(2014)の指摘も紹介されていた

高度化する政治マーケティングやパブリック・アフェアーズに関する知見がジャーナリズム の側に十分備わっておらず、十分な監視機能を果たせていないのではないかとの懸念もある

 

マスメディアが一定の力を持ち続けているのはその通りだけど、

それ以外で世の中への影響力を持ち続けている企業があるということが、

一般の人にはあまり知られていないように思う。

 

マーケ先進国アメリカではどうなんだろう。

 

【書評】仕組みを知らずにgoogleに頼ってない? 『グーグル化の見えざる代償』~勉強記録~

googleを使っている人はものすごい数だと思うけれど、

その仕組みを正しく理解できている人ってどのくらいいるんだろう……。

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by Sebastiaan ter Burg

 

きょうは『グーグル化の見えざる代償 ウェブ・書籍・知識・記憶の変容』の書評です。

シヴァ・ヴァイディアナサン著、2012年インプレスジャパンの出版。

 

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書影はamazonより

googleがどのようにビジネスをしているか、

検索の仕組みはどうなっていて、私たちの個人情報はどう扱われているか、

それによって、私たちの生活(知的生活も含めた)はどのように変化しているのか

説明した本です。

 

 

今回は2つを紹介します。

①私たちはあまりに無頓着だった

②プライバシーの問題

 

①私たちはあまりに無頓着だった

たとえば、googleがなぜ、自分の読みたい記事ばかりおすすめしてくれるのか、Facebookが親しい友達の投稿ばかりを上位に表示してくれるのか、

その仕組みについて考えたことはありますか?

 

私は「なんとなくそうなっているな」と気づいたくらいで、

特に関心をもっていませんでした。

本で著者も、そのことを警告しています。

 

p158

毎日の社会的、知的生活の構造に、これらのサービスをあまりにしっかりとすばやくおりこんでいるので、私たちはそうした依存の代償については考えないようになっているのだ。そして、技術に熟練した人たちの多くは、これらのシステムの思いもかけない落とし穴を大胆によけて進むことができるので、圧倒的多数の利用者が、そういう落とし穴や、ユーザーが自由に処理できる技術に気づかないということを忘れている。

 

googleFacebookは私たちの閲覧履歴から情報をあつめ、

利用者に合うように記事や情報をパーソナライズ化しているのです。

 

p249 私たちが使っているウェブは、すでにカスタマイズの豊富なパワーを提供している。(中略)グーグルは、ウェブの検索結果を個人に特化することにより、これらの効果を増幅させている。自分が誰であり、なにを知っているかが検索結果に反映されることで、人によっては、同じ事柄についてまったく異なった理解を持つことになる。

 

つまり、人によって受け取る情報に大きな差が出るということ。

記事だけでなく、広告のターゲッティングにも私たちの閲覧履歴が利用されています。

 googleだって民間企業なので、利益をあげなきゃいけないのはわかります。

私だってもう、googleなしには生活も仕事も成立しません。

でも怖いのは「仕組みを知らずにgoogleに頼っている」ということなのではないかと思いました。

②プライバシーの問題

また、著者が警告するのは、

私たちのプライバシーに対する関心の低さ。 

 

p132

私たちはグーグルを使って検索し続け、アマゾンで買い物し続け、ユーザーの同意と「プライバシー・ポリシー」(実際にプライバシーを保護してくれることはごく稀である)をクリックし続け、私たちを監視する権限を喜んで政府に与えるような指導者たちに賛成し続けている。

 

この厄介な「プライバシー・ポリシー」、同意しなきゃ次に進めないから、みんなもやっているから多分大丈夫だろう、という理由で同意してしまうことが多いですが、

考えてみたら、自分の情報がどう使われているのかということに

あまりにも無頓着だったかもしれないと思いました。

 

また、プライバシーに関する私たちの考え方を変える必要があることも、

著者は以下のように示しています。

 

「プライバシー」という言葉は、私たちが共有している情報の性質ではなく、

情報の管理に適用される用語なのだ。

 

その上で5つの主要な「プライバシー・インターフェース」を紹介。

それは、

 

「個人対仲間」

「個人対権力」(両親・先生とか)

「個人対企業」

「個人対国家」

「個人対公衆」

 

そして「状況に合わせて仮面をつけ替えることや、人々が私たちについて知っていること(あるいは知っていると、彼らが思っていること)を管理することで、それぞれ別個の関係を維持でき」ていたのです。

大人になるにつれ、家族の前で見せる顔と、外で見せる顔、ネットで調べる自分だけの関心ごとはすべて別々のものになっていった、と考えれば、

イメージしやすいのではないでしょうか。

 

しかし著者は、多くのオンライン環境では5つのインターフェイスは混ざり合い、

「公私の法的区別はもはや成り立たなくなっている」と指摘。

GAFAが私たちの行動を追跡して広告や記事をパーソナライズ化し、

そこから利益を得ている限りは

この状況は改善されづらいだろうとしています。

 

p158

チョイスポイント、フェイスブック、グーグル、アマゾンなどは、私たちがくつろいだ気分で自然に振る舞ってほしいのだ。(中略)これらの企業が、私たちのちょっと変わった行動を追跡することに熱心なのは、自分が最もハマっている事柄によって自分を集団から区別するという私たちのやり方を理解しているからである。情熱、偏愛、嗜好、執着などは、私たちの財布の紐を緩めさせ、私たちを正確な販売促進のターゲットにさせる。

 

ネット上の行動が追跡されて個人が格付けされる、みたいなのは

もう中国などで始まっているようですが、

よくわからないうちにそんな生活が始まってしまったら、

かなり窮屈だろうなと想像します。

 

本を通じていちばん強く感じたのは、

世の中って気づいたころには変わっているのかもしれない」ということ。

自分のデータが使われる仕組みがこんなに巧妙に整えられていたなんて

まったく気が付きませんでした。

 

しかしgoogle側はデフォルト設定を変えられるオプションを出しているわけだし、

プライバシー・ポリシーも出している。

わかりづらいだけで。

 

ネットの世界に起こる変化を敏感にキャッチするには、

現実の世界以上にアンテナの感度を高くする必要がありそうです。