マスコミの中の人

テレビの報道記者が書きたいことを書いています。あ、でも転職するんだった!次は出版社です。

マスコミが出す被害者の顔写真は本当に必要か

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こんにちは。
 
きょうは災害や事件事故の報道で使われる被害者の顔写真について書きます。
いまはどの新聞・テレビも当たり前のように使っていますが、
これってほんとうに必要なのでしょうか。
 
インターネットが生まれる前であれば、
顔写真が使われてもその拡散力は大きくなかったはずですが、
今ではいつまでも残り続け、どこまでも拡散され続けます
 
こうした変化に従って、
写真を使用される側や報道を観る側の考え方も変わっている可能性があります。
 
そうした場合、顔写真の扱いがこれまでと同じでいいのか
考え直す必要があると思います。
(マスコミ界隈の人からは、顔写真不要論はあまり聞いたことがありませんが…)
 
 
私自身答えが出ていない問題なので、
ニュースを観ている側の方々がどう感じているか知りたいです。
ご意見ご感想お待ちしています。
 
内容は
 
①記者はどうやって写真を手に入れているのか?
②私が取材で感じていること
③顔写真は必要派と不要派それぞれの意見
④(暫定的な)私の意見
 

①記者はどうやって写真を手に入れているのか?

 
事件や事故、そして災害で被害に遭った方のことを報道をするときに、
記者が必ず集めなければいけないものがあります。
今回の北海道地震も例外ではありません。
 
それは被害者の顔写真。通称”がん首”と呼ばれます。
 
殺人事件が起きた時、事故が起きた時、なるべく早く写真を探すよう言われます
 
この取材、とてもとても労力が要ります。
手順はこんな感じです。
 

まずは近所をまわって、親族や友人を探して話を聞かせてもらえるかお願いします。

 

同時にその方が卒業した学校や年度を調べます。

それがわかれば、校区のお宅を全部まわります。

本当に、アパートも含めて1軒ずつピンポンします。

これは卒業アルバムを手に入れるためです。 

 

卒業アルバムが手に入れば、絶対に写真があります。

持っている人にたどり着いても、「提供できない」と言われることも山ほどあります。

それはその立場に立ってみれば当たり前だと思うので、

お礼を言って立ち去ります。

 

 

他には、町内会や街の広報誌

新聞、企業のホームページなどもひとつずつ確認します。

 

いまはFacebooktwitterもあるので、思いつく限りのキーワードを入れて検索。

 

でも写真を見つけたからといって、勝手に報道できるわけではありません

違う人の写真を出してしまったら、大迷惑だからです。

間違いを防ぐために、

親族、それも複数人に「これは誰ですか」と確認しなければいけません。

「たぶん●●だと思うけど」みたいなのは危険なのでダメ。

確実に言いきってくれる人が見つかるまで、取材は続きます。

(誰にどんな風に確認をとるべきなのかは会社によって違うようです。)

 

②私が取材で感じていること

 

朝から晩まで丸1日、写真探しに明け暮れて、結局ニュースに反映させられなかった、

ということもたくさんあります。

 

親族に確認をとるのも、本当にデリケートな取材。

インターホンを押すのはいいものの、

第一声なんて声をかけていいのか…。

「帰って下さい」と言われて、もうあたれる場所もなく、

道路に座り込んで途方にくれたこともあります。

 

こういう状況が、強引な取材、迷惑な取材の一因になっているとも思います。  

でも、人にもよると思いますが、少なくとも私も、私のまわりの記者も、

重い足取りで、胃を痛めながら取材をしています。

いくら記者でも、人の気持ちがわからないことはありません。

(いくらか鈍感でないと務まらない仕事ではありますが…。)

 

少なくとも現場に行くと、ニュースには反映しきれない

悲しみや痛みもバンバン伝わってきて、消耗します。

それでも写真があると伝わるものもあると信じて、身体を前に動かしています。

 

でもこれって、もしかしてマスコミが習慣で探しているだけ?

読者・視聴者は顔写真を求めているのだろうか?

 

仕事をしていると「そんなことまでして写真が欲しいのか」と

呆れられることもあります。

絶対必要なんです、と断言することもできず、かといっていらない、と言い切ることもできず、私はずっと考えています。

 

 

③顔写真は必要派と不要派それぞれの意見

 

私がこれまで聞いたことのある、それぞれの意見を箇条書きしてみました。

 

 

★必要派の意見

伝えることで供養するしか報道にはできない

・その人が生きていたということを世の中に残すために、写真は必要

・顔写真に限らず、そもそも知りえた情報は原則すべて出すべき

・観ている人が共感しやすくなる⇒災害報道などは特に、お名前を並べるだけよりも伝わるものが大きいと思われる

・さらにそれが事件や事故の大きさを伝えることになり、再発防止や支援につながる

 

★必要ない派の意見

 

・遺族や関係者への取材が迷惑

・写真探しより先に取材すべきことがあるのでは

・遺族提供の写真ならともかく、故人の写真を断りもなく勝手に出すのはどうなのか

・写真はともかく、プライベートな動画を出すのはやりすぎ

・マスコミが被害者を食い物にしているように見える

 

④(暫定的な)私の意見

 

いまのところは、やはり必要だと感じる気持ちが強いです。

こういう人が確かに生きていたのだ、という足跡を残すこと、

そしてその人の「顔」が伝える情報の大きさが、

世の中を動かすことがあると思います。

(●●ちゃん、と字面だけで報道するよりも、

幼い女の子の写真がある方が反響が大きく世の中も再発防止に動く

というのは想像がつくと思います。)

 

でも自分が死んだとして、

中学生のころの写真を勝手に出されたら最悪だなと思います。

テレビで流れて終わるならまだしも、

紙やwebに残るのはもっと嫌です。

親が亡くなって、写真を片手にいきなり「この人は誰ですか」とか聞かれたら

どこから手に入れたんだよふざけんな、と

たぶん追い返します。

 

だからこそ、取材・報道するときは

そうした痛みを想像した上で動こうといつも言い聞かせています。

 

また「この時間までに絶対写真を用意しろ」のような圧力を、

報道機関の偉い人にはかけてほしくないです。

取材対象者に礼を尽くしながら、情報をいただく余裕が欲しいです。

 

取材活動が迷惑だ、という意見も理解できます。

嫌われても仕方ないとも思います。

でもマスコミ側も伝えることで世の中を変えていくために、

ギリギリの努力を続けています。

 

なにげなくテレビや新聞に出てくる情報が、

いったいどういうふうにつくられたものなのか、

一瞬でも想像して頂けると嬉しいです。

 

 

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